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2012. 12. 18  
初めまして。
レース鳩を飼うのは、初めてです。
しかしその思いは、今思うに子どもの頃から脈々と流れていたと感じ
ます。

「伝書鳩を飼ってみたい!」と思ったのは、今から45年前(1967年)
小学6年生の時でした。それ以前には小学2年生の頃から、巣から
スズメの雛、ムクドリの雛、モズの雛、カワセミの雛等を捕ってきて
育てていました。当時の当地方の男子小学生の間では、けっこう普通
の遊びの一つでした。

保育社『鳥類図鑑』を毎日飽かず眺めつ、載っていた野鳥の絵と名前
は全て覚えました。その鳥類図鑑には、巻末に「文鳥の飼い方」
「十姉妹の飼い方」「ニワトリの飼い方」そして「伝書鳩の飼い方」
が掲載されていました。当時図鑑の中の野鳥の絵及び説明で、私の
心をときめかせたものを3つあげれば、ハヤブサ、グンカンドリ、
サンコウチョウでした。

小学4年生の時、父へ「十姉妹を飼ってみたい」と話すと、父は大き
なリンゴ箱を利用して飼育箱を作ってくれて、汽車で1時間半かかる
都市(会津若松市)へ連れて行ってくれて、番の十姉妹2羽を買って
くれました。

我が町には、野鳥(ウグイス、ヤマガラ等)を売っている店が1軒あ
りましたが、いわゆる“洋鳥”を売っている店はありませんでした。

その後中学3年まで毎年雛を孵し、友人たちにあげていました。その
十姉妹の番は、私がその後家を離れ、父が面倒をみてくれて2年後死
にました。7年生きたことになります。

小学6年生の時の冬(丁度45年前)、父に「中学生になったら伝書鳩
を飼いたいんだけど……」と話しました。「金はあるのか?」「ある、
郵便局の貯金に」。しかし、父は「ダメだ」。「なんで?」「畑に蒔
いた種や実った豆を喰って迷惑がかかる」「いや、そんなことないよ。
ここ(保育社『鳥類図鑑』)に書いてある」「いや、ダメだ」


(当時、そして現在も、当地方では鳩を飼っている人は誰もいません)
諦めました。当時の父親の権力(言う事)は絶大でしたね。絶対に逆
らえません。

その後、サッカーに夢中になり、就職、Uターン、仕事、結婚、子育
て、……。そして息子たちが独立し(孫も生まれて)、妻と二人暮らし。
(柴犬2頭をまぜると4人暮らしです)

ニワトリを飼い始めたのは15年前でした。
そして少しずつ増やして、鶏舎も手作りで建てて行って、現在は4種
類50羽くらい飼っています。5号棟鶏舎(2間×6間)を建てたのは
2年前で、その時にその脇に2間分のスペースを空けておきました。

5年後、60歳(還暦)を迎えたら伝書鳩(レース鳩)をここで飼おう……、
と漠然と思いました。そこは我が家の田んぼ8アール(20m×40m)
を埋め立てた場所で、見通しが非常にいい所です。そこでニワトリ
8羽とヤギ1頭(日本ザーネン種♀、ヤギ小屋は2間×4間)を飼い
始めました。柵で囲って、ニワトリたちとヤギは自由に外へ出て遊
べます。

還暦までまだ三年ありますが、一ヶ月ほど前に何気なく見た或る方の
レース鳩のブログを読んで一気に惹きつけられました。とても丁寧
に書かれていてまたレース鳩への愛情に満ちたブログでした。

心に火が付くと止められるものではありません。
三つ子の魂百まで、ですね。

ネット検索でいろいろ調べ、日本伝書鳩協会へ電話しました。
当地方には現在鳩を飼っている人は誰もいません。
しかし20年くらい前に数十羽の鳩が群れをなして飛んでいるのを
何度も見かけ、誰か飼っているんだなと思いましたが、その頃は仕
事子育てに精一杯で、確かめることもしませんでした。しかしその
鳩の群れも数年後には見掛けなくなり、今ではその人を探すことも
できません。

地元福島県のクラブ「福島クラブ」を紹介されて、会長のSさんへ
電話してみました。「日本鳩レース協会」ではなく「日本伝書鳩協会」
を選んだことは、上述のブログの方の影響です。私はいつかレースへ
参加したいという思いはありますが、それよりも放した鳩が鳩舎へ
戻って来る、また大空を、青空を、飛んでいる姿を見たい!という
単純な思いです。

ちななみに「日本伝書鳩協会」の会員数は約2,000名でした。「日本
鳩レース協会」の会員数は約13,000名。(また私が柴犬で所属して
いる「公益社団法人日本犬保存会」の会員数は約8,000名、「ジャパ
ン・ケネルクラブ」の会員数は約80,000名です)(思うに、昔と今
は鳩と犬の飼育登録者数は逆になったのですね……)

翌日、思いもかけずSさんから段ボール箱いっぱいの『愛鳩の友』
と手書きの“トラップ”の説明が書かれている用紙と会員名簿が届い
ていました。
「孤軍奮闘、頑張ってください」の文字が心に焼き付きました。

当地方は標高550m、周りを取り囲む山々は標高1,000m前後。
猛禽類の巣窟です。
Sさんがおっしゃるには、舎外や訓練を行なっていけば1/4~1/5に
減ってしまうことを覚悟しなければならない。また、そうやって生き
延びた鳩がいいレース鳩なんだ、と。

果たして私にそういう覚悟ができるだろうか……。
しかし、もう、躊躇することはないと感じました。
Sさんへは、その後今日まで5回くらい電話していろんな事を質問し
て教えていただいています。

増築の新鳩舎作りは来年春に行なうとにして、今ある5号棟鶏舎の
内部を2間分網で仕切って、入り口ドア(私が出入りする)を取り付
けました。止まり木はニワトリ用のちょうどよさそうなもの(地面か
ら約120cmの高さ)が1本既にあります。
そしてネットショッピングで20Kg入りの鳩の餌を購入。

そして『Racing Pigeon Auction 』というサイトで1羽目♀
(純白)を落札しました。大阪府(京都府との県境の田舎と思われま
した)の“室ロフト”さんでした。
「純白長距離血統鳩、USAホワイトレーサー輸入鳩の孫、2012年8月
28日生まれ♀」
室ロフトさんはとても丁寧な方で、安心できました。

綺麗で真っ白な可愛い女の子が、12月9日、日通航空便を経て届きま
した。レース鳩が、伊丹空港から仙台空港へ飛行機に乗って、そして
軽ワゴン車の宅急便でやってきました。なんか不思議ですね。

折りしも今回のドカ雪で積雪70cmです。
飼育場(5号棟鶏舎とヤギ小屋)は自宅から700mほど離れています。

愛犬たちも一緒に連れて行きました。いつも一緒です。
ちなみに柴犬♀(2011年10月10日生まれ、地元出身)は“ルンルン”
という名前です。柴犬♂(2012年2月21日生まれ、東京出身)は
“ソラ君”という名前です。(共に妻による命名)

そして、この記念すべき真っ白な可愛い♀鳩は、“パールちゃん”と
私が名前を付けました。通称“パーちゃん”です。
(まだ妻には内緒で飼っています)

飼育場へ入って箱を開け、パーちゃんを掴みました。
私はこの時初めて鳩を触りました。

なんと軽く、小さく、そして壊れそうな感触。
いつもルンルン&ソラ君を抱っこしていますし、ヤギの“メイちゃん”
も小さい頃は抱っこしていました。(メイちゃんは今はもう40Kg
を越えて抱っこできなくなりました)

放すと、2間角の鳩舎内を飛び回り、網に引っかかってはまた反対側
の網に引っかかりしながら、止まり木へとまりました。

地面へ餌をいっぱいばら撒き、1時間ほど様子を見ていましたが、
餌を食べませんでした。

その時の写真です。(2012年12月9日)
パーちゃん写真20121209

大雪でかなりの雪が吹き込んでいました。
パーちゃん写真2012120902

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翌日、パーちゃんの様子、そして2羽目“シー君”がやってきました
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1955年生まれ。
福島県、雪国南会津に住んでいます。

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